信平側は『週刊新潮』の「デマ記事」で、「事件」なるものの日時・場所について「昭和58年の8月19日」「プレハブ建ての喫茶ロアール(創価学会の函館研修道場内)」とした。
ところが、まさに「昭和58年8月」に撮影された現地の航空写真等によって、「ロアール」は影も形も存在しなかったことが明らかになった。判決は信平側の主張を「事実的根拠を欠く」と断じた。
信平側は「平成3年事件」の日付についても「8月16日~18日の間」「17日」「18日」と追い詰められるたびに主張を変えた。
ところが大量の証拠写真等によって、「16日~18日」のいずれも「その時刻には信子が現場にいなかった」ことが厳然と立証された。
また当時、研修道場で撮影された信子の写真について判決は「被害にあったものとは到底思われないにこやかな笑顔」と認定した。